西加奈子の、人間に対する愛。それとともに、貧困を、理不尽をもたらす社会を構成する人間に対する確固たる怒りの気配が漂っている。
貧困、被虐待、吃音、LD、ホームレス、女性。数々の社会的なマイノリティが描かれ、それが大きなテーマとして、作中に大きく横たわっている。西加奈子は自ら「当事者でもない自分が、書いていいのか、作品にしていいのか」と帯に記すほどの葛藤を抱えながら書いた作品。
みんな違ってみんないい、からこそ、そう思えない人間が誰一人として存在してはならない。そう思えない社会って何? 思える社会を形成すべきでしょ? そのために必要なことは? という差し迫った問いを感じる。西加奈子は何を書いて、何を書かなかったのかを読解しろよ。これを西加奈子に書かせた社会は、何を助けて、何を助けなかったんだよ。
あの貧困は、あの困難は、あの苦しみは、ぼくの責任ではなかったのだ。親の責任でもなかったのだ。国の、政治の、社会の責任だったのだ。あの理不尽を、冷たい背筋の凍る思いをしていた自分は、自分で自分を責めることでしか自我が保てなかった。
あの理不尽としか言いようのない極限状態、朝も、昼も、夜も、お金を稼ぐか、勉強するか、研究するか、食事をするかだった。自分が生きるために必要な低次の欲求を満たすための活動で自分の時間が満たされる。娯楽はない。娯楽を入れる余裕がない。あのせわしなさ、余裕の無さ、何もできなさ、をフルタイムで働き始める前に味わうことができたのは僥倖だったのかもしれない。そうポジティブめいた解釈をして自分に刷り込むことは可能である。でも、うまく政治が、社会が、なにもかもが機能していれば、ぼくは、あの人生の盛りとも言えるようなあの時期を、自分の脳みそのリソースを最大限活用して、自分のやりたい研究やら、学習やら、インプットやらに果てしなく時間を費やすことができただろうが。という冷たい怒りは常に頭の中に存在する。ぼくが陥っていた状況下でも、果てしなく優秀であれば、果てしなく優秀であれば、もっと素敵な方法でお金を稼ぎ、全てを上手くこなした上で、生きていられたのかもね。賢くなくてごめんね。賢くないのにこんなのぞみを吐露してごめんね。
ぼくは主人公「俺」と同種の貧困状態に陥っていた。金銭が不足し自分の将来が危ぶまれ、自分が当然享受できると思っていた環境が、全てが、維持不可能だ、維持するには、大量の時間を労働に投じなければならない、と論理的に判断せざるを得なくなった。あの、冷たくて静かな恐怖がありありと想起される。貧困は、思考を、中長期的な視野を、賢さを、論理を、理性を、少しずつ、でも着実に奪う。 これは自分のせいではない。高等教育にこれだけおかしな額の金銭を必要とし、なおかつ賃金も上昇せず劣悪な労働環境ばかり提示される日本において、逃げ場はない。でもそれを自分で選んだんだから、自分が頑張るしかない、と言い聞かせて生きてきた。 世間と比べてひどく劣った存在に違いないと思わずにはいられないあの感覚。自分の生活に必要な金額がいくらか、まとまった支出を自ら賄う必要がいつ発生するのか。すべてを計画的に、用意周到に準備し計算する必要のあるあの切羽詰まった嫌な汗をかいてしまう感覚。Excelで勤務時間と給料と出費を計算して頭を抱えていた日々を思い出す。
自分の時間を切り売りするあの感覚。自分が本来学習すること、勉強すること、研究することを第一の優先順位とすべきなのに、できない。その環境を維持するために自分の時間を大きく分割し、他の提示欲求を満たすための活動に勤しむ必要がある自分。その横で、全く金銭的懸念がない状態の人間の健やかな悩みに出くわし腸が煮えくり返ってしまったあの自分の嘆かわしさ。あんな、あんな怒りは誰も抱かなくて良くなればいいのに。みんな優秀で、賢くて、お金持ちで、余裕があって、そういう人が頭振り絞ってようやくできる営みが、自分みたいな人間にできるわけがなかった。悔しかった。
貧困が原因で、勉強ができないことが原因で、吃音が原因で、体格が原因で、虐待が原因で、生活が困難になることがあってはならない、それを社会が強制してはならないだろうが。ふざけるな。
明確な批判の意図のある人物名の設定。事実に基づく批判がうれしい。本当に。小説の中だけれど、あなたはそれを問題だと思ってくれているんだという宣言が嬉しい、生きていていいんだなという安堵を感じた。
選挙で圧勝する「あんべたくま」。選挙カーで子供を轢き、のちに隠蔽するための示談金を渡す「あんべたくま」。
以下気になった文言を本文から引用しておく。
P.91 限界まで働いて、いっぱしの人間になったつもりでいても、俺はまだガキだった。社会的には、無力な存在だった。
P.129 俺の質問には、絶対に答えてくれた。 「納土さんにとって、大切なことってなんですか?」 こんな漠然とした、馬鹿な問いにもだ。 「うーん、大切っていうか。そうだなぁ。何を取るかって言うより、何を撮らなかったかを、僕はいつも考えています。 「何を撮らなかったか?」 「そうです。自分が不要だと考えて切り捨てた部分ですおね。僕はどうしてそれを捨てたのか。どうして不要だと思ったのか。後々、自分の作品を見ることってほぼないんだけど。ずっと、自分が切り捨てたもののことをずっと考えています。」
P.309 「私が世界を変えると言っているのではないのです。でも約束します。私が刺激した脳が、世界を変えるのだと。」