「あ、生きてていいんだな、ぼく」

ポジティブという特権めいた属性を生まれながらにして所有し、自分の手札として使うことができる人からしたら当たり前のようなことを、当たり前に思えない自分。それは自己憐憫や自分を嘲るような気持ちから湧き出るのではなく、思うのでもない。自分は、おそらく生得的にそう思ってしまう性質を持ち合わせた人間なのだと理解している。いや、理解しようと努めている。人間には科学では解明できないような、自分の持つ常識的な基準には合致しない原則が張り巡らされていると認知した上で生きていたほうが、幾分生きやすそうだ、ということが少しずつ分かってきた。

社会性が高くなく、ネガティブで、コミュニケーション体力がない自分。そんな自分にとって、極めて重要で、思い出すだけで嬉しくなって、心が踊り、その歓喜に悶えさめざめと泣いてしまうような気持ちになる瞬間が、人生の中で本当に数少ない回数訪れる。

駆け込み需要かのように終業間際に自分に降り注いできた仕事を急ピッチで形にし打ち返す。自分の頭の中には気兼ねなく飲酒できる週末に突入するという不純な動機しか存在していないが、それでも仕事をすすめる速度は朝うだうだしていたときの5倍速くらいになっていたように思う。普段使っていない脳みその多くの部分を同時並行で稼働させたような心地の良い疲労を感じる。締め切りの力の偉大さも感じる。仕事のモチベーションとか、そんなことを考えずとも一定のパフォーマンスを出せるように自分を自ら律して働けたらいいなと思う。でもまだまだ難しい。

自分が働いている会社で一人前の働きができていると思うことは到底できないと実感してしまう日々を送っている。それは自分の経験の浅さがもたらしているのか、自分の愚かさがもたらしているのか判別がつかない。それは自分の上司は自分に対してお前は愚かだと宣言もしてくれないし、その無力感を上司や同僚に対して吐露するほどの率直で素直なコミュニケーションを取れるほどの気軽な関係性を築くことは到底不可能だという諦めめいた認知もある。

自らと同じような境遇においても成果を上げている人間はたくさんいる。自分の今の境遇が発生しているのは自分の努力不足、交渉力・政治力・提案力・学習意欲が他者に比べて不足しており、会社で必要とされる、上司から必要とされる水準に満ちていないのだ。自らが無能なのは明らかに自分のせいであり、それが原因で消えてなくなり分解されてしまいたいと願うのは、自らが無能である事実から帰結する明らかな結論であった。

そんな自分を破滅に追い込む論理を組み立てる能力ばかりが育まれ、いつの間にか自分が生きていていいのか、自分が自分としてやりたいことが何なのかも少しずつわからなくなる。でもそれが思い出せる瞬間はぼくには残っており、そうした瞬間を糧に生きているところがある。

他人の生み出した作品(音楽、絵、文章、演奏、歌、仕事、なんでもいい)に触れ、自ら作品(というと仰々しくて気恥ずかしいが)を生み出し、それを他者が拾い上げてくれ、それについて会話する瞬間、の電撃的な心地よさ。ああ、生きていていいんだという手触りのある感触、を自分及び自分以外の人間との交流により獲得できたとき、ぼくは心底生きていていいんだなと思うことができた。でもそれは、人生の中で数回しか起きてくれないだろうという予感がある。

先日まさに、そんな、思い出すだけで心が沸き立ち、カッと熱くなり胸がキュッとしてしまうような瞬間が訪れた。生きていていいんだと思った瞬間があった。それはぼくが愛する作品「違国日記」で出てくるエピソードに似ていた。 「高代槙生」が中高時代をともに生きた友人「ダイゴ」から卒業式にもらった手紙に纏わるエピソード。

ダイゴが手紙くれたんだよね 手紙って言ってもノートの切れ端の 今もやる? ハート型に折ったりして

ウン

はは 変わんないもんだね

…なんて書いてあったの?

「6年間 きみがいなかったら 私は 息ができなかった」

…あいつは覚えていないかわかんないし覚えてたら暴れまわりそうだけど

(中略)

…槙生ちゃんは どう思ったの その手紙読んで

「生きていていいんだ」と思ったよ 大げさじゃなくね

ヤマシタトモコ『違国日記』 (2) P.93-97より引用

そう、「生きていていいんだ」だよ、「生きていていいんだ」だよね。うん。

自分の存在が、生み出した何かが、空気が、世界が、文章が、音楽が、演奏が、自分ではない誰かに直接的/間接的に影響を及ぼし、それが生に、また何かを生み出すことにつながっているという事実がどうしようもなくうれしくって、うれしくて、泣いてしまう。

それが間接的にわかっても嬉しいのだが、先日それを直接的に表明してもらえる瞬間があり、ぼくは泣いてしまったのです。その瞬間、その文章、その存在、その全てがぼくが生きる意味の一部に組み込まれ、それがまた新たな生きる理由を生み出す源泉となり、ぼくの人生を形作っていくんだよね。

もうすこし頑張って生きていきます。ありがとう。